創業者は医者フリスト氏と、その息子

HCAは、1968年に設立された。トーマス・フリスト・シニア氏と息子のトーマス・フリスト・ジュニア氏らが創業した。

父親のフリスト・シニア氏は、医師だった。1910年、米国南部のミシシッピ州に生まれた。第二次世界大戦では、空軍に所属し、従軍した。

大学医学部を卒業し、テネシー州ナッシュビルにおいて、心臓専門の医者として活動した。後に、「利潤追求型の病院経営システムの祖」と呼ばれるようになった。1998年、87歳で死去した。

一方、フリスト・ジュニア氏は、共和党の実力者だったビル・フリスト上院院内総務の家族だ。

株式上場

HCAは、米国南部のテネシー州ナッシュビルが地盤だった。1969年、株式の新規上場(IPO)を行った。上場先は、ニューヨーク証券取引所(NYSE)だった。上場した時点で、11の病院を抱えていた。

設立当時、病院運営は慈善活動の一環とみられていた。しかし、フリスト親子は、ホテル経営のノウハウを導入した。各地の病院を買収し、チェーン化を進めた。それによって成長を遂げた。

1981年末の時点で、349の病院を運営した。病床数は4万9000に及んだ。

1988年に非上場化、1992年に再上場

1988年、非上場化した。「株価が過小評価されている」ことに対して、不満があったためだ。LBO(レバレッジド・バイアウト)を実施した。LBOの総額は51億ドルだった。

1992年に再上場した。このころ、株式市場の投資家の間で医療分野への関心が高まっていた。

投資ファンドが買収

しかし、2006年7月、2度目となる株式の非公開化を行った。米大手投資ファンドのKKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)などで構成する投資会社連合に身売りする発表した。

負債引き受け分も含めた買収総額は約330億ドル(約3兆8000億円)。買収相手の資産を担保にして資金を調達するLBO(レバレッジド・バイアウト)方式で実施した。

HCAは2006年当時、全米で176の病院などを展開していた。さらに、92の手術センターを運営していた。

保険未加入患者の増加で業績と株価が低迷

米国では保険未加入患者の増加が社会問題となり、多くの病院の経営が圧迫されていた。HCAの業績と株価が伸び悩み気味だった。

しかし、買収を決めた投資連合は「ベビーブーマー世代」の高齢化などで医療ビジネスの成長が見込めると判断した。当時の時価総額は約200億ドルだった。

史上最大規模

LBOによる買収として米国で過去最大の規模だった。これまで最大は1989年のKKRによる米たばこ・食品大手RJRナビスコ買収だった。

KKR、ベイン・キャピタル、メリルリンチが参加

HCA買収では、KKRのほか、ベイン・キャピタル、メリルリンチ・グローバル・プライベート・エクイティが参加した。HCA創業者のトーマス・フリスト氏も参加した。

非上場になっている間に、不採算事業の分離や既存施設の改良など抜本策に取り組んだ。

2010年、再上場した。この背景には、投資家の間の病院チェーンへの厳しい評価が変わったことが挙げられる。この際、会社名を「HCA」から「HCAヘルスケア」に変更した。